ミャンマー 国境の街タチレクへ2時間の小旅行 その2

東南アジア旅行記

前回記事「ミャンマー 国境の街タチレクへ2時間の小旅行 その1」の続編です。

●3つ目のお寺
 
 
シュエダゴン・パゴダから坂を急降下したトゥクトゥクは、ものの数分で別の建物の敷地内に入り込みました。どうやらここもお寺みたいですが、札所めぐりをしているわけじゃあるまいし、信心深い仏教徒でも無いので、そんなに寺院を巡っても大して面白く無いのですけどね…。寺院関係が続くってことは、即ちこの街には余程観光名所が無いのでしょうね。お寺の前では象さんと鐘を担ぐ2体の人形がお出迎え。金色に輝く屋根もさることながら、外壁一面に塗られたライムグリーンも印象的でして、全体的にお菓子を想像させる色合いにも見えます。

グリーンのカーペットが敷かれた堂内は、お寺というより公民館のような雰囲気なのですが、最奥に鎮座する仏像、そして天井近くの壁に描かれた絵を見れば、やはりここが仏教寺院であることは疑いようがありません。その絵にはお釈迦様の誕生から涅槃までの一生が描かれており、例えば仏像の真上に写っている絵は、お釈迦様が菩提樹の下で悟りを開いた時の様子を描いたものですね。ありがたいことにそれぞれには英語のキャプションも付せられていますが、お釈迦様の一生でしたら同じ仏教国である我が日本でも万人が知るところでありますから、説明無しでも絵画が意味する内容を理解できちゃいます。文化や言語が全く異なる場所でも、自文化に共通するものを目にして理解ができると、その瞬間はものすごく嬉しくなるものですね。仏様はありがたいものだ、そう実感しながら寺院から出てトゥクトゥクに戻ると、運ちゃんはニタニタっと笑顔を浮かべながら「ブンブン(置屋へ行くか)?」と誘ってくるではありませんか。これは当地のお約束なのでしょうし、その手のお店に客を連れて行けば運ちゃんはバックマージンを手にできるのでしょうけど、お釈迦様に思いを馳せた直後に煩悩丸出しの勧誘が発せられたことに、半分驚きつつ半分面白みを覚え、でも今回はそんな時間も考えもありませんから、きっぱり断って、次なる目的地へと移動してもらいました。

●首長族村
 

さて、ライムグリーンのお寺を出たトゥクトゥクは、路地を抜けながら一旦国道に出て奥へと走り、丁字路を曲がってゴルフ場へと向かいました。ゴルフ場の壁にはビルマ語や英語のほか中国語で「高爾夫」と表記されており、いかに当地を訪れる中華系が多いかを窺い知ることができるのですが、それにしてもなんでゴルフ場なんかに連れて行かれるのか、ついさっき私はブンブンを断ったけど、もしかしたらバックマージン欲しさにその手の怪しい店へ無理やり連れて行かれちゃうのか、などという不安(面倒臭さ)が俄然私の心に擡げます。そんな私の心境をよそに、トゥクトゥクは無駄に広くて埃っぽい道を快走していきました。

 
やがて運ちゃんは上画像のゲート前にトゥクトゥクを止めました。ゲートの両サイドにある看板のイラストを見れば一目瞭然。首長族村なんですね。ゲートでは無愛想なお姉さんが140バーツという(当地の物価で考えれば)結構なボッタクリ料金を要求してきましたが、生まれつきの旺盛な好奇心には勝てず、気づけば財布から言いなりにお金を支払って入場していました。

 
場内は上り坂の一本道に沿って土産物屋が並んでいるばかり。こちらの首長族、つまりカレン族の皆さんには申し訳ないのですが、実につまらない。階段の途中ではカレン族の女性が覇気なくしゃがみ込んでいました。お仕事で首に輪っかを嵌めているのでしょうから、おそらく営業時間が終われば首輪を外して普通に生活しているのでしょう。


人様にカメラを向けるのは気が引けるものの、こういう場所なら向こうも撮られることに慣れているだろうと判断し、何気なく機織り真っ最中のこのおばあちゃんを撮ったのですが、帰国後に改めてこの村について調べたところ、このおばあちゃんはタチレクを訪れた日本人旅行記で頻出していることが判明しました。見方を変えれば、このおばちゃん以外、首輪をたくさん嵌めている女性がなかなかいない、ということでもあります。

 
土産物屋しかない単なるショボい施設なのかと思いきや、実際にカレン族はここで生活しているらしく、洗濯物を干す民家の他、共同の水場やトイレも見受けられました。赤ん坊を抱く女の子は、お目目がパッチリしていてかわいいですね。

 
一本道の坂を登り切った先はちょっとした展望台になっており、荒涼とした景色が広がっていました。一帯はこれから開発が進むのでしょうね。こうした景色を未開のフロンティアと捉えるか、後世に残すべき麗しの農村風景と考えるか、人によってそれぞれなんでしょうけど、徒に乱開発されるのは心が痛むし、かといって開発を止めて環境保護に努めよと叫ぶのも先進国の奢りであって聊か無責任ですし…。舞い上がる赤い土埃の彼方に果てしなく広がる農村風景を目にし、複雑な思いが去来しました。

ところでこの首長族村では、気の毒な言い方をすれば自らを見世物にして生計を立てているわけですが、入口には料金所という名のゲートが設けられ、周囲はいい加減なものながら壁やフェンスで囲まれています。そしてミャンマー(ビルマ)政府は反政府運動を繰り広げるカレン族を今まで目の敵にしてきました。そんな歴史的な流れとこの村の構造を重ね合わせると、ここが所謂ゲットー(ghetto)のように思えてならず、その発想に至った途端、展望台からの景色以上に重い気持ちが私を支配しはじめたので、これ以上ここで写真を撮るのをやめ、坂を下って早々に村から立ち去ることにしました。ちょっと考え過ぎかもしれませんけどね。

タチレクを訪れた多くの日本人観光客が旅行記で語っているように、この街には健全且つ面白い観光名所は無さそうです。いや、郊外まで足を伸ばせばきっと美しい景色が待っているに違いありませんが、残念ながら今回はそこまでの時間がありませんし、そろそろ出発して1時間が経とうとしていたので、運ちゃんに声をかけてスタート地点のロータリーへ戻ってもらうことにしました。

 

ロータリーへ戻るとちょうど小腹が空いていたので、運ちゃんを誘ってマーケットの屋台で一緒にスープヌードルを啜りました。結構うまかったですよ。ちなみにこの運ちゃんのことを、その容姿からココリコ遠藤と心の中で呼んでいました。ダイナマイト四国遠藤くん、ありがとうプゥ(←前妻風)。

その3へつづく。

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