※今回記事は温泉と関係ありません。あしからず。
前々回およびその前の記事では、青森県七戸町の温泉を取り上げました。現在七戸町には東北新幹線の「七戸十和田駅」が営業しており、町の玄関口としてビジネスや観光のお客さんに利用されていますが、1997年までは南部縦貫鉄道という零細規模の私鉄が運行されており、東北本線野辺地駅を起点とするローカル列車の終着駅が七戸駅でした。
廃止から20年以上の歳月が流れ、当時の線路は殆ど撤去され、往時の様子を偲べる光景はあまり残っていませんが、七戸駅だけは廃止された当時のままの姿で保存されているらしいので、当地を温泉巡りした際に立ち寄ってみることにしました。
まずは車で七戸駅前へ。くすんだ色合いの古い駅舎が哀愁を漂わせていますが、廃止から20年近くが建つ今日でも「南部縦貫鉄道」の文字がいまだに大きく掲げられています。国道4号沿いを中心として、近年町内にはロードサイド型の大きな店舗が次々に建つようになりましたが、いまでは鄙びて見えるこの駅舎も、昭和の頃まで遡ると町内屈指の大きさを誇る建築物ではなかったかと思われます。駅前の広い空地は、かつて駅前広場として使われていたスペースなのでしょう。私が訪れた時にも、この駅前には十和田湖エリアにある温泉宿の看板が残っていました。
駅舎のドアが開いていたので中へ入ってみますと、かつて待合室だったと思しき空間には、当時の運行管理に使われていた備品類がたくさん展示されていました。
かつての備品類とともに、列車が走っていた当時の写真もたくさん展示されており、さながら博物館のようでした。
駅の出札窓口は駅見学の受付窓口となっており、現在は七戸町観光協会の方が対応してくださいます(土曜・日曜の10:00~16:00)。私が訪ねると、窓口のスタッフの方が私に声をかけ、わざわざ表へ出てきて「レールバスを見ませんか」と案内してくださいました。
レールバスとは、かつて南部縦貫鉄道で旅客を運んでいた小型の気動車。鉄道車両にもかかわらず、バスを思わせるような小型車体であり、かつ実際にバス用の部品を流用することによって製作コストの抑制を図っています。日本では戦後間もない頃に国鉄が地方の閑散路線へ投入し、民鉄では北海道と東北で1社ずつ導入されました。その1社が南部縦貫鉄道です。たしかにコスト抑制という目的は果たされたのかもしれませんが、輸送力が弱く車体の耐久性も劣るために導入実績が少なく、運用された路線でも早々に撤退していきました。その中で南部縦貫鉄道だけは旅客輸送の主役として、路線の廃止まで35年以上もレールバスの運行を続けてきました。いわば南部縦貫鉄道の顔がレールバスなのです。その顔に逢えるというのですから嬉しいではありませんか。
まずは駅舎から出て、以前旅客の皆さんが歩いたはずの動線を辿って、かつての駅構内へ出ました。行き止まりの線路2本にそれぞれホームが設置されています。
線路やホーム、そして腕木式信号機に至るまで当時のまま。目を瞑るとガタンゴトンというジョイント音が聞こえてきそうです。列車がやってきても不思議ではない雰囲気に、私は心をすっかり奪われて、その場に立ち尽くしてしまいました。
ホームの隣に機関庫があります。観光協会の方に裏のドアを開けてもらい、機関庫の中へとお邪魔します。
裸電球が暖色系の淡い光を照らす薄暗い庫内には、グリスの匂いがふんわり漂っていました。
現在、南部縦貫鉄道の一部車両はボランティアの方々によって動態保存されており、この機関庫内でその作業が行われています。私が訪問した日も東京からやってきた方が作業着をまとい、工具を握っていらっしゃいました。また年に数回は実際に旧七戸駅構内で車両を動かすのですが、その際に使われたと思しきヘッドマークが作業場の前に提げられていました。
庫内では複数の車両がお休みしています。
手前側に止められている青い車両は機関車。2両あり、1台は昭和37年の開業時に導入されたD451。もう1台は秋田の羽後交通からやってきたDC251。沿線の天間林村から砂鉄を輸送する計画があり、その貨物輸送の担い手として導入されたのがD451でしたが、砂鉄による製鉄の計画が頓挫してしまったため、実際のところ砂鉄輸送はあまり行われず、活躍の機会は少なかったそうです。
秋田からやってきたDC251は、マニア的には面白い車両です。というのも、駆動輪がロッド式なのです。蒸気機関車では当たり前ですが、ディーゼル機関車ですとあまり見当たらず、現在動けるロッド式の機関車は、津軽鉄道や関東鉄道に残っている非常に古い車両ぐらいではないでしょうか。このDC251は車体のカバーが開けられ、中のエンジンが見られるようになっていました。
機関車の隣のラインには、国鉄から譲渡されたキハ104(国鉄時代はキハ10 45)が大きな図体を休めていました。いや、一般的な鉄道車両と同格の大きさなのですが、小さな車両ばかりのこの鉄道では相対的に大きく見えてしまいます。
高度経済成長期に設計・製造された国鉄車両が履く台車といえばコイルバネ台車。このキハ10もその例外ではありません。保線状態が良くなかったと思しきこの路線では、走行中に結構揺れたのではないでしょうか。いや、揺れるほどスピードを出さなかったのかも。
また戦後の国鉄気動車に標準装備されたDMH17エンジンもしっかり搭載されています。戦前に基本設計が行われ、改良が加えられながらも昭和50年代まで製造され続けた、恐ろしいほどのロングラン製品であり、千葉の小湊鉄道などではいまだに現役です。戦後日本の鉄道界を支えた功労者であると同時に、日本鉄道界のディーゼルエンジン開発が世界に比べて遅れてしまった原因のひとつでもあり、それゆえ毀誉褒貶の大きな存在なのですが、カランカランというDMH17独特のアイドリング音は、ローカル路線を旅した昭和の人間の記憶にしっかり刻まれているはずですから、その音を耳にすると昔日の旅の記憶が呼び覚まされ、きっと旅情を駆り立てられることでしょう。
そして、南部縦貫鉄道の顔。レールバスの登場です。
この日は機関庫の扉を開けてくださったので、良い状態で撮影することができました。
開業時に導入された2両のレールバスが、ボランティアの手により丁寧に動態保存されています。いかにも昭和らしい丸みを帯びたモノコック車体の意匠がかわいらしいですね。
バスのように幅が狭くて天井が低い車内には、ビニルクロス張りのロングシートが向い合せに設置されており、その上には網棚も設けられています。窓は2段式ながら開閉できるのは下段だけで上段はHゴムで嵌め殺されている、いわゆるバス窓というタイプですね。天井や壁を留める無数のリベットが昭和を感じさせます。
内開きの折り戸式ドアもバスそのもの。
運転台の後ろには、かつての料金表が掲示されていました。また車端部にはキハ102の表記と「富士重工 昭和37年」の銘板が残っていました。この車両を製造した富士重工(現スバル)は、1980年代に入って再びレールバスの開発に取り組み、第三セクターを中心にして全国各地の鉄道会社で採用されていきましたが、その後富士重工自体が鉄道車両の製造から撤退しています。
運転台。
左のレバーがスロットルレバー、右の出っ張りがブレーキ弁ですね。一般的に日本の鉄道車両は、左側へ偏った位置に運転台がセッティングされていますが、このレールバスは中央に設置されているんですね。
このレールバスで特徴的なのが、クラッチを操作してギアを変えること。一般的な鉄道のディーゼル車両は液体変速機を採用しているため、クラッチは必要ありませんが、この車両はMTの自動車と同じくクラッチを踏んだ状態でギアを変えるのです。このため運転にはコツが要り、熟練した運転士でないと操作に難渋したものと思われます。
この画像では見にくいのですが、スロットルレバーや計器類がある下の空間にクラッチぺダルがあり、その右側には長いクラッチレバーが立ち上がっていて(※)、ギアチェンジする度に、クラッチを踏んでレバーを操作していたんだそうです。
(※)展示時はレバーが取り外されていました。
2両並ぶレールバス。1980年代以降に開発された第二世代のレールバスですら、もう全国から姿を消してしまった今日。レールバスが2両並ぶ姿が見られるのは奇跡としか言いようがありません。
その中の1両であるキハ101は、上述のキハ10と連結していました。車体の大きさの差は歴然としており、親と子供ほど違うことが一目瞭然です。
サボ(※)に書かれた「七戸←→野辺地」の文字は、南部縦貫鉄道の起点と終点を示しています。現役時代は全列車が起点と終点を往復し、途中で折り返す列車は無かったそうですから、このサボをぶら下げて走る意味があったのかどうか・・・。
(※)行先表示板のこと。サイドボードの略。
車体へ直に書かれた表記によれば定員は60名。上述のキハ10は92名だそうですから、その3分の2程度であり、現在の路線バスよりも少ない収容数です。しかも晩年は40名程度に制限されていたそうですから、同じ区間を旅客輸送するならこの車両よりもバスで運行した方がはるかに効率的ですね。廃止も止むを得なかったのでしょう。
台車は、鉄道では一般的なボギー式ではなく、いまどきの貨車でも採用されていない二軸式です。車体の長さが10メートル程度なので、ボギー台車にしちゃうと床下スペースを台車に占領され、機器類が配置できなくなってしまうのですね。
エンジンは日野のバス用エンジン。上述のキハ10に搭載されている国鉄標準のDMH17エンジンに比べてはるかに小型ですね。かわいらしい車体にはこのエンジンで十分だったのかもしれません。
私の訪問時、レールバスたちは機関庫内でお休みしていましたが、年に何回かはボランティアの手により旧七戸駅構内を走り、特定日には体験乗車もできるんだとか。詳しくは「南部縦貫レールバス愛好会」のウェブサイトをご覧ください。
ネット上には現役時代の様子を捉えた動画がいくつも上がっていますが、ここではその中から2つをご紹介します。
レールバスの元祖 南部縦貫鉄道キハ10【レイルリポート #26 Classics】
なつかしの南部縦貫鉄道(乗車)前篇
ボランティアの方々が手弁当で車両を整備し、そして企画運営を行い、町の観光協会の方が親切丁寧に対応してくださっているからこそ、南部縦貫鉄道は廃止後もその姿を留め、新たな元号を迎えることができるのですね。関係している皆様に敬意を表するとともに、応援する意味で、旧七戸駅から立ち去る際には複数の切符類を購入させていただきました。今度は是非動いているレールバスに会ってみたいものです。
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コメント
レールバス
きかんしゃやえもんに出てきて、教科書に全く同じ挿絵がありました。
懐かしいです。
Unknown
>夢鳥さん
>きかんしゃやえもん
レールバスのかわいらしい車体と、当時としては合理的に見えた構造が、作者の心を捉えたのかもしれませんね。そういえば作者は阿川佐和子さんのお父さんですね。鉄道車両はどうしてもスピード・豪華さ・輸送力・そしてかっこよさ、といった男性的な思考に基いて設計されますから、レールバスのようなかわいらしい構造やデザインは、いま見ても新鮮だと思います。
素晴らしいレビューです
時折出て来る鉄道関連の記事で、温泉ブログではないようなつとに細かい描写をされているのが印象深いのですが、南部縦貫のレールバスに食いついてここまでじっくり見た上で詳細のレポを書き上げるとは…温泉以上に(?)鉄道も相当お好きなようですね(笑)。
Unknown
lonely-blueskyさん、こんばんは。
些末かつ冗長な内容で申し訳ないのですが、ありがとうございます。
お察しの通り、私は結構「鉄」が好きなんです。いわゆるマニアさんのように、それを目的として積極的に動くことはないのですが、旅先で気になるポイントがあれば、できるだけ立ち寄ったり、実際に乗ってみたりしています。温泉と鉄道を組み合わせた旅は、費用がかかり。かつ時間的な融通が効きにくいのですが、それでも大変魅力的だと思っています。