前回取り上げたウルジャ・ハレルク温泉に満足した私は、更にキュタフヤ県の温泉をハシゴするべく、車を飛ばしてギョベル(Göbel)温泉へ向かうことにしました。まずはキュタフヤの市街からタヴシャンル(Tavşanlı)という田舎町へ向けて幹線道路D230を西進します。
タヴシャンルで幹線道路から南へ逸れ、Tepecikという村に入ると、村の中心部で道が更に分岐しているのですが、そこでようやく今回の目的地であるギョベル温泉(Göbel Termal)の標識を発見しました。村の中の道路は非舗装の砂利道。赤い屋根の家々に挟まれた砂利道を家畜が徘徊し、その横をトラックやバスが砂埃を上げながら走り去ってゆくという、なんとも牧歌的な光景の中を、私のレンタカーも村の景色と一緒になって進んでゆきます。
村を抜けて畑の中を走ってゆくと、丁字路の角に温泉を示す大きな看板が立っていました。この看板が示す方へと右折するのですが、ここでちょっと車を止めて、畑越しに先程抜けてきた集落を眺めてみますと、遠くにジャーミー(モスク)のミナレット(尖塔)が聳え立ち、その下に赤い素朴な民家が建ち並ぶ、トルコの田舎らしい長閑な景色が望めました。
丁字路から2~3km南下して山裾の小高い丘へと上ってゆくと、ギョベル温泉の広い駐車場へ到着しました。木立の広がる緩やかな斜面の向こうには、先程通過してきた村やその周囲の耕作地を見晴らせ、澄んだ空気を胸いっぱい吸いながらこの景色を眺めているだけでも、運転の疲れが吹っ飛びます。
駐車場のまわりは公園のような緑の広場となっており、バーベキュー用と思しき小さな東屋がたくさん並んでいました。また駐車場のにはカフェ・ビストロと書かれた建物もありました。私が訪れた晩秋はシーズンオフで、他に観光客らしき人の姿は見られなかったのですが、夏の観光シーズンには温泉リゾートとして、家族連れなどで賑わうのでしょう。
この温泉リゾートは駐車場の周りに諸々の施設が集まっており、体育館(水色の建物)の他、幾棟もの宿泊棟や売店などが建ち並んでいました。スポーツ関係の合宿、湯治目的の長期滞在などなど、多様なニーズに対応できそうですね。
事前に仕入れておいた情報によれば、このギョベル温泉には新旧2つの浴場があり、男女を日替わりで使い分けているとのことでしたが、この日の新浴場は「女湯(BAYANLARA)」となっており、残念ながらこちらは利用できませんでした。今後この温泉へ行かれる方のため、以下に男女の曜日分けを記しておきます(2014年11月現在)。
女性(BAYANLARA, KADINLAR):火曜・金曜・日曜
男性(ERKEKLER):月曜・水曜・木曜・土曜
各日とも営業時間は8:00~23:45で料金は3.50リラ。
新浴場がダメなら旧浴場が男湯になっているかと言えば、世の中そんなに甘くは無いようで…
(逆光で見難い画像になっちゃいました。ごめんなさい)
その隣に位置していたと思しき旧浴場はすっかり解体されてしまい、新たな浴場を建てるべく、現在基礎工事の真っ最中でした。せっかくここまで来たのに、温泉に浸かれないだなんて残念だ…。がっかり肩を落とす私に現場の人たちが声をかけ、お茶を振る舞って慰めてくださいました。
私に声をかけてくれたのは、現場のボスであるスレイマンおじさん。私が日本人だとわかると、おじさんは満面の笑みを浮かべながら親日家ぶりをアピールし、仕事を放り出して私に付きっきりで世話を焼いてくださったのです。
スレイマンおじさん曰く、温泉浴場はダメだけど、屋内温泉プールなら男でも利用できるそうですから、そちらへ向かうことにしました。温泉プールはギョベル温泉の中核施設として位置づけられているようで、リゾート地の中心に位置する最も規模の大きな施設です。
入館して受付で貴重品を預けますと、スレイマンおじさんは若い二人のスタッフに、私が一人で日本から来た旅人であることを告げ、勝手にズカズカと受付の奥へと入り込んで、バスタオルを持ってきてくれました。田舎だからか、工事現場の人もここのスタッフも、みなさん知り合いのようであり、他人の領域へ土足で入り込んで勝手な振る舞いをしても、多少のことなら文句は言われないみたいです。
ここから先を案内してくれたのが上画像の2人。彼らも受付業務を放り投げ、おじさんの意向を酌んで私に付きっきりで世話してくれました。シーズンオフで暇だったのでしょうけど、それ以上にこの地へ極東人が訪れること自体とても珍しいことであり、わざわざ温泉を目的にしてやってきた私という奇人に対して興味津々だったのでしょう。
ロビーから円形のホールへ進むと、更衣室・プール・ハマムなど各室の入口がこのホールに面していました。まずは更衣室で水着に着替えます。ロッカーにはちゃんと鍵がついていますし、(画像には写っていませんが)独立したシャワールームや更衣スペースもあり、本格的なフィットネスジムみたい。
私がシャワーを浴びようとすると、スレイマンおじさんが2人のスタッフをかき分けて、シャワーの使い方を教えようとするではありませんか。極東人は得てして童顔に見られがちですが、きっと私もガキに見えたのでしょうか。ボディーソープとシャンプで、頭の上から足までしっかりと洗いなさいと、まるで子供に教え諭すように、細かく何度も強調していました。トルコの入浴施設ではどこでも、入浴前に体を洗って綺麗な状態にすることが、日本の温泉以上に厳しく求められます。
まず通されたのが上画像のプールです。ドーム状の天井を見る限り、壁の向こうの女性側とシンメトリな構造になっているのでしょう。長さ25m前後、深さ1.4~1.5m程度のメインプールと、子供用の小さなプールがあり、25~30℃の水温から想像するに、このプールには温泉が使われいるものと思われます。肌寒い晩秋にこんな田舎のプールへ泳ぎに来る人なんているのかと侮っていたのですが、意外にも遊泳客が数人いらっしゃり、私の姿を見かけるや、こちらへ向かって手を振ってくれました。ギョベルの方って、どうしてこんなにフレンドリーなのでしょう。こうして接してくださるだけでも、ここへ来て良かったと嬉しくなります。
続いて案内してくれたのがハマムです。いわゆる入浴槽は無いのですが、ところどころにキュタフヤ名産のタイルが埋め込まれた大理石造りの室内には、中央にハマムに欠かせない台が据えられ、それを取り囲むように洗い場が並んでいます。またサウナも併設されています。
洗い場の水栓を開けると39.0℃の温泉が吐出されました。金属製の水栓は、温泉成分の付着によって薄っすら白く覆われています。広々としたプールで泳ぐのも良いのですが、熱い温泉に浸かりたかった私としては、この水栓のお湯をたくさん浴びて我慢しました。
この温泉プールでは、プール・サウナ・ハマムの3点を行ったり来たりしながら小1時間ほど過ごし、十分に満足できたところで、服を着ていざ精算を済ませようと受付へ向かうと、スタッフ達は料金を一切受け取ろうとしません。みなさんの会話は全てトルコ語なので全く聞き取れないのですが、ジェスチャーやニュアンスから察するに「わざわざ日本からやって来たんだから、お代は要らないよ」ということらしいのです。私を案内してくれた上、料金まで面倒みてくれるとは、何とお礼を申し上げたら良いやら…。しかしながら、私は往路の飛行機で一夜漬けで覚えた”Teşekkür ederim(ありがとう)”という単語しか知らず、それ以上の言葉を彼らに伝えることができません。悔しいやら情けないやら、もっと出発前にきちんとトルコ語を勉強しておくべきだったと後悔しきり。そんな私の心情を察してか、スタッフのみなさんは、言葉ではなく身振りで良いんだよと言わんばかりに、笑顔で次々に私とハグしてきました。一期一会とは言え、こうして旅先で現地の方々の温かい心に接すると、本当にありがたく、その謝意は心に深く残るものです。
料金の件は、スタッフの厚意はもちろんですが、きっと私が知らない所でスレイマンおじさんが口利きしれくれたのかもしれません。これは是非ともお謝意を伝えなければ!!
ということで、プールから再び浴場建設中の工事現場へ戻ると、スレイマンおじさんが、こっちへ来いと手招きしています。デコボコな足場を進んでおじさんの元へと向かうと、壊されたはずの旧浴場の一部は今でも残っており、そのアルミドアが外へむき出しになっていたのでした。
ドアを開けると、旧浴場の浴槽が静かにお湯を湛えていました。トルコの一般的な温泉浴場と異なり、室内空間ギリギリに浴槽が設けられ、いわゆる洗い場的なスペースなどが殆ど無いので、取り壊される前には、この浴室とは別個に洗い場用の空間などがあったかと思われるですが、それにしても、工事現場を目にした時には、旧浴場と出会えないものだと諦めていましたので、ドアを開けた瞬間の感動たるや、言葉には言い表せないものがありました。
おじさんはメモで筆記説明してくれたのですが、なんとこのお風呂は東ローマ帝国時代から長い歴史を有しているんだとか。日本ですと江戸期まで遡れる現存のお風呂があれば、それこそ重文クラスですが、この浴室はそんなレベルなんてはるかに凌駕しており、遺跡と同等な文化財と言っても過言ではありません。旧浴場を壊しても、この浴槽だけ残しているのは、文化財としての歴史的価値に重きを置いたためなのでしょう。
切り出した石材を積み重ねて築かれた浴槽には、透き通ったクリアなお湯が張られています。底の目地には湯の華らしきものが沈殿しており、ドアから差し込む光を反射して、夜の海岸の夜光虫のように青く輝いていました。幻想的な美しさに思わず心が奪われます。また、いかにも古そうな壁には落書きの文字がたくさん刻まれていたのですが、いつの時代に書かれたのかと想像するだけで、このお風呂が歩んできた長い歴史を追体験しているようなロマンに浸れました。なお、湯船のお湯はかなりぬるく、私が訪れた肌寒い晩秋ですと、一度入ったら出られなくなっちゃいそうな感じです。
私が古い浴槽に感動していると、先程プールで私の面倒を見てくれたスタッフの一人であるマムート君が、背後から「こっちにも来いよ」と声をかけてきました。そこで彼の後について、新浴場のバックヤードからポンプ室へ入り、奥にある小さな扉を開けると、そこはギョベル温泉の源泉井であり、清らかに澄んだ美しいお湯が底から湧き出て、石洞のような空間内にたっぷりと湛えられていました。この源泉井も相当古いものらしく、浴室同様に壁にはたくさんの文字が刻まれており、底にはステップのような石段が設けられているので、もしかしたらこの石洞のような源泉も、かつては浴室として使われていたのかもしれません。
どうやらお湯は底から自噴しているらしく、浴室などへお湯を供給するため、源泉の湯溜まりへ水中ポンプを入れて汲み上げているようでした。ギョベル版「青の洞窟」と称したくなるこの美しい源泉の温度は、32.8℃とかなりぬるめ。このお湯を引いている新浴場では、そのまま浴槽に投入しているのか、はたまた加温しているのか、その辺りの事情はわかりませんが、もし源泉のままでしたら、夏以外ですと湯上がりがかなり肌寒くて震え上がっちゃいますね。夏向きの温泉と言えそうです。
新浴場の裏手には上画像のようなお湯汲み場があり、水栓からはもちろん温泉が出てきます。スレイマンおじさんが「飲んでみろ」とジェスチャーで示唆するので、手に受けて飲泉してみますと、ほとんど無味無臭で、癖のない優しい味わいでした。無色透明無味無臭で湯温もぬるめという条件が並ぶと、お湯としてはあまり個性が無く、掴みどころが無さそうに思われるのですが、工事現場のお兄さんの一人は、服の袖をまくって自分の腕を私に見せ、以前は大きな傷があったんだけど、長期にわたってお湯に浸かっているうち、傷がすっかり癒えたんだと誇らしげに温泉の効能を自慢していました。日本でも霊泉と呼ばれる湯治宿では、アッサリサッパリした癖のない冷鉱泉に入浴するところがありますが、このトルコの地でも、それに似たような感じで湯治が行われているようです。いわゆるモイストヒーリングには、こうしたアッサリ系の鉱泉が向いているのかもしれませんね。
最後に、私を付きっきりで面倒みてくれたスレイマンおじさん(右)と、温泉で傷が癒えたと語っていた現場のお兄さん(左)の三人で、肩をくみあいながら記念撮影。
スレイマンさんやマムート君達と出会って、彼らによる親切心の恩恵を被らなければ、ギョベルのプールやハマムを楽しんだり、閉鎖中の旧浴場や神秘的な美しさの源泉井を目にすることはできなかったでしょう。みなさんには本当にお世話になりました。このブログで「ギョベルがいかに良いところか」を紹介することが、みなさんへの恩返しになるだろうと考えながら、今回の記事を書き綴りました。
こうした出会いがあるからこそ、旅ってやめられないんですよね。
GPS座標:N39.49808, E29.438282,
ホームページ
新浴場の営業時間等に関しては、本文中にて記載しています。
私の好み:★★★
コメント