※今回の記事に温泉は登場しませんのであしからず。
悪石島の次に私が向かったのは、トカラの有人島では最も南に位置している宝島です。フェリーが港へ近づくと、まず目に入ってくるのがコンクリの擁壁に描かれた巨大な壁絵でした。
今回宝島でお世話になったのは老夫婦が経営する「民宿とから荘」さんでした。2階建ての2階に10室近い客室があり、今回はこの中でも最も勝手口や洗面所に近い部屋をあてがってくれました。6畳の和室で冷房完備ですが、他のものは何もありません。
客室にテレビは無いので、もし視聴したければこの大広間でみることになります。といってもこの日の宿泊客は私一人だけでしたし、スケジュールの都合上、この島では1泊しかできなかったので、時間が許す限り島内を巡ることで精いっぱい。あまりこの広間で寛ぐ時間はありませんでした。窓からは海を一望でき、日が暮れれば海から涼しい風が吹き込んできます。
宿のお爺さんは民宿経営の傍ら、薪で釜を焚く塩造りも行っています。天候によって釜の焚き方(薪のくべ方)が違うらしく、この日は好天に恵まれて釜を焚く好機でもあったため、お爺さんは晩も早朝も問わず、頻りに釜へと出かけていました。
今回お世話になった「とから荘」を含め、宝島の民宿はみな港近くの集落に集まっています。さっそく細い路地がウネウネと延びているこの集落を歩いてみましょう。平家の落人伝説が残っているこの平島の住民は圧倒的に平田姓が多く、民家の間に立つお墓を見ると悉く「平田家之墓」となっていました。
こちらはコミュニティーセンター(村役場出張所)です。フェリーの切符もここで購入しますが、いつでも窓口が開いているわけではないので、所定の時間を狙って出向く必要があります(これはトカラのどの島でも共通ですが)。私は翌日の早朝に出港する上り便で経つ予定でしたので、前日の昼下がりに切符を購入しました。
コミュニティーセンターには自販機が2台あり、コカコーラ系の他サントリー系のドリンクも購入可能。また夕方からオープンする売店(食料品や雑貨などを取扱)も併設されています。
こちらは宝島郵便局。島唯一の金融機関でもあります。トカラ列島で郵便局がある島はこの宝島以外では、中之島と口之島だけです。
郵便局の近くから海岸へ下りてゆく何の変哲もないこの坂道はイギリス坂と呼ばれており、十島村発行のガイド(パンフレット)から説明文を抜粋すると…
とのこと。私はフェートン号事件が異国船打払令の大きなきっかけだと思っていましたが、たしかにこの頃はナポレオン戦争のために勢力をすっかり失ったオランダに代わってアジアの覇権を握るようになったイギリス船が次々に日本近海にやってきていたわけですから、この宝島で発生した事件はそうした流れのひとつとして起こったのであり、長崎や宝島などで起きた事件の数々によって幕府は異国船打払令へ発令しようとしたわけですね。
イギリス坂を下りきると発電所を発見。
発電所から海岸に沿って東方向へ歩くと「がっこうのうえん」と書かれた札が立つ場所を通過しました。夏休み中だからか、特に何かを栽培しているような形跡はみられませんでした。
さらに東へ進んで、途中に突き当たった分岐を海の方へ行ってみると…
小さな馬小屋に遭遇。在来種と思しき小型の馬(おそらくトカラ馬)が一頭だけ屋根の下でのんびりしており、その馬は私を見つけると、興味津々といわんばかりに元気よくこちらへ近づいてきて、愛想をたっぷり振りまいてくれました。
さらに奥には、白い砂浜の大籠海水浴場が広がっていました。天然の入り江を活かしながら、安全に海水浴が楽しめるよう人工的な設備も施工された海水浴場です。この上ない天気なのに、この時は誰もいませんでした。
無人ながらちゃんと男女別のシャワーもありますよ。
入江は干潮で水が思いっきり引いており、しかも濁っていたので、入江の口まで歩いていき、そこから潜ってみることにしました。
海中にはサンゴ礁が広がっていますが、すっかり白化している上に泥をかぶっており、決して美しい光景とは言えません。でもそんな海中をたくさんの魚たちが泳いでおり、その様子を私は潜りながら飽きることなく2時間近くも観察し続けてしまいました。
次回に続く…
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