金門島旅行 その9 伝統家屋の北山集落と市街戦の跡

台湾

前回記事のつづきです。

●北山集落
 
 
プロパガンダ放送による心理戦の最前線であった「古寧頭播音牆」というコンクリの穴オバケを見学した後は、海岸から離れて畑の向こうに見える集落を散策することにしました。いまにも泣き出しそうな重苦しい曇天の下、細いあぜ道を歩いて、何にもない静かすぎる田園風景を横切ります。途中で牛がこちらを一瞥していましたが、一見の旅人だとわかると、再びソッポを向いて昼寝に戻ってしまいました。
畑を抜けて車道に出ると「旧灰窯」というバス停発見しました。以前は窯業のようなことをしていたところなのかな。

 
「旧灰窯」バス停から集落へ入ってゆく路地の途中には砦が設けられていました。後述しますが、いまから散策する北山集落では市街戦が繰り広げられたそうですし、上述のように対岸の中共側の目と鼻の先ですから、この手のものが設けられていても不思議ではありません。

 
このあたりは北山という集落で、ほとんどの民家が閩南様式の伝統建築という、まるで清朝か明朝の時代にタイムスリップしたかのような、赤いレンガを主体とする趣きのある街なみが広がっています。

 
中華圏の集落に欠かせない廟は、鮮やかなカラーリングが非常に美しく、壁や柱に施されている細工も実に繊細です。

 
 
廟のみならず、民家の一軒一軒にも美しく細かな装飾が施されており、集落全体が中華的伝統絵画の世界を具現化したミュージアムみたいです。台湾各地の老街でも同じような光景に出会えますが、現代的なものが少ない分、台湾よりも昔日の時代感が濃く残っているように感じられます。路地の角には琉球文化でもおなじみの石敢當が立っていました。

 
集落内は民家と民家が立ち並んで狭い路地を作っており、それが迷路のように複雑に入り組んでいるのですが、行き止まりになりそうな路地を進んでゆくと、いきなり視界がひらけて上画像のような広場に出くわします。この広場には共用の井戸がありました。また別の広場にはモニュメントが立っていたのですが、これが何を意味するのかは不明。てっぺんには瓶が載っかっており、礎のまわりは石臼みたいなものが並べられていますし、集落のまわりには高粱の畑が広がっていましたから、おそらく金門島名産の高粱酒にまつわるものかと想像されるのですが…。

 

別の広場で目を惹くバラック然とした小屋と遭遇。公衆便所かとおもいきや、壁には「理髪店」と書かれているではありませんか。さすがにもう廃業しちゃっているんでしょうけど、昔は軍人や集落の男たちが集っていた床屋だったのでしょう。これはやばいぞ! 超フォトジェニック!

 
北山集落の南には双鯉湖と称する貯水池があり、池の対岸には南山という集落もあります。つまり池を挟んで南北が対になっているんですね。今回は南山集落へは行っておりませんが、池の畔に観光バスが止まっていた状況から推測するに、南山集落には団体を受け入れる観光施設があるのかもしれません。
私はひきつづき北山集落を散策します。昔ながらの美しい民家の壁や屋根をよく観察してみますと、広場に面した一部の家屋や、路地の角に位置する民家の壁などに、たくさんの穴があいていることに気づきます。この北山集落は前々回の記事で取り上げた1949年の古寧頭戦役において激しい市街戦が繰り広げられた戦地であり、これらの穴は被弾の跡なのであります。

●北山古洋楼
 
 
北山集落における市街戦の激しさを物語る最たるものが「北山古洋楼」です。建物の前には激しい戦いの様子を伝える記念碑が立てられていました。
この建物はフィリピンで成功した李金魚という人物によって1928年に建てられたんだそうですが、高台に位置している上、建物自体も高くて目立っていたために、古寧頭戦役においては中共側の格好の標的となり、ご覧のように猛烈な砲撃を受けてボッコボコにされちゃいました。しかも、一時的ながら金門島への上陸を果たした中共の軍隊は、この建物を占拠して市街戦における拠点としたんだそうです。戦いから60年以上の歳月が経っている現在でも、外壁の全面には生々しい被弾の跡が無数に残っており、建物自体も大きく損壊して痛々しい姿を晒していました。

 
無残なまでに崩壊しているこの建物をじっくり観察してみますと、中心を境にして左右で明らかに建築様式が異なっていることに気づきます。具体的には正面向かって左側は赤い反り屋根の中華風で、右側はコロニアル様式を連想させる矩形の洋風スタイルです。古洋楼という言葉を翻訳すれば「古い洋式のビル」となりますが、この名称は片側半分のファサードを示しているのでしょう。南洋での事業に成功した男がこの楼閣を建てたわけですが、どうやら彼には正妻の他に第二夫人がおり、左側は正妻の好みに合わせた中華風で、右側は第二夫人の好みに合わせた洋風で、といった感じで双方の希望を一度に叶えようとしたら、こんな中洋折衷の建物になっちゃったみたいです。でもまさか竣工の20年後にこんな見るも無惨な姿になり果てるとは、当時のご主人には夢想だにできなかったことでしょうね。


北山古洋楼を見学していたら、重苦しく垂れ込めていた鉛色の空から、突如として大粒の驟雨が降り出し、その勢いがあまりに酷く、折りたたみ傘がちっとも役に立たなかったので、慌てて付近の軒下に入り込んで雨宿りをし、雨脚がいくらか弱まった頃合いを見計らって、「古寧村公所」バス停から10番の路線バスに乗り込み、金城へと戻りました。

次回へつづく

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