前回記事の続編です。
潮州から硬座の列車に揺られること2時間で広東省梅州市の興寧駅に到着しました。駅の出口ではバイクタクシーや安宿など諸々の客引きが待ち構えており、明らかに外国人旅行者とわかる私は彼らにとって格好の餌食ですから、何度も追い払ってもしつこく声をかけてきます。
当初の計画では、バイクタクシーなどでこの街のバスターミナルへ向かい、そこから五華県の中心地である華城まで行く路線バス(五華行き)に乗るつもりでした。ネットで得られる中国語の情報によると、どうやらそのバスに乗って途中で降りれば、温泉の最寄地点まで行けるらしいのです。でも言語的な問題もあってネットではバスの時刻に関する確定的な情報が得られず、もし本数が少なかったり、あるいは運行時間帯に偏りがあったら、望み通りに温泉まで到達できないかもしれません。
路線バスに関する確証的な情報がなく、しかも外はシトシトと雨が降り続いて止む気配がない。そんな状況にあって、私の頭の中に棲む悪魔が、こんなことを囁きはじめました・・・「路線バスなんか乗り継がないで、この駅から直接温泉まで行っちゃえば楽じゃん」。一度その横着な発想に取り憑かれると、いままではただ鬱陶しいだけだった呼び声が、誘惑の甘い声に変質して聞こえるようになってきました。そこでしつこく食い下がる連中に「この温泉を知っているか」と温泉名を書いたメモを見せたところ、自信満面に「知道。30塊(知ってるよ。30元で良い)」と答えた男がいたので、運を天に任せて博打をうち、その男の後をついてゆくことにしたのです。ガチガチに予想が固い競馬ですら外すほどギャンブルに弱い私が、こんな異国の田舎で賭けに出たところで、ろくなことがないことは自明なのに…。
その男が得意気に「乗れよ」と指差したのは、上画像に写っているつぎはぎだらけのボロ傘をさした一台のポンコツバイクでした。つまりバイクタクシーであり、この日は雨が降っていたので、客が跨る後部に長く伸びている傘をさしているわけです。地図で見た時にはバイクタクシーで行けるような距離ではなかったような気がしたのですが、こういう時は「何とかなる」と賭けに出た自分の判断を自己欺瞞したくなるもの。駅前のロータリーにちゃんとしたタクシーが待機しているのを目にして、自分の選択に迷いが生じながらも、そのバイクの後ろへ乗り込むことにしました。
バイクは駅の裏手に回って、田園風景の中を疾走し、徐々に山の中へ入ってゆこうとします。地図で見た記憶によれば、温泉がある五華県は興寧から南の方に位置しており、実際にこのバイクも南へ向かっているので、方角としては間違っていないわけですが、それにしてはこの山道が妙に険しい。やがて道幅が狭くなり、未舗装の泥道になって、とてもじゃないけどポンコツバイクで走行できるような状況ではなくなりました。脳裏には山奥で悪党に拉致されるのではないかという不安ももたげましたが、バイクの男はそこまでの悪党ではなく、単に山の中をショートカットしようと図ったのだけれども、あてが外れて道に迷ってしまったようです。海外(特にアジア圏)では、場所を知らないくせに「知ってるよ」と嘯くタクシーにしばしば遭遇しますが、この男はその典型だったようです。悪路を眼前にして来た道を引き返すバイクの後部に跨りながら、「てめぇ、知ってるって言ってただろ」と呟いて恨んだところで、もう遅い。下手に安い金額を提示した男なんかに賭けず、駅前に待機していた乗用車のタクシーを選ばなかった自分が悪かった。
来た道を引き返し、沿道の民家の人たちから「あれ? あんたたち、いま山の方へ行ったばっかりだよね」と驚きと好奇の目で見られつつ、一旦駅前まで戻ってから、今度は幹線道路を西へひた走ります。男2人とバックパックを載せた非力なバイクは、フルスロットルにしてもスピードがちっとも出ず、他のバイクに次々と追い抜かされるばかりか、すぐ脇を乗用車が猛スピードで追い越して行くのが恐ろしく、また大型トラックにも煽られまくり、とてもじゃないが生きた心地がしません。しかも、いままで一時的に弱まっていた雨脚が再び強くなり、風も出てきて、我々の頭上を守っているはずのつぎはぎだらけの傘の一部がめくれ始めました。傘でカバーできない足元は既にビショビショですから、傘が壊れたら完全に雨ざらし。こんな状態で、果たしてたどり着けるの? もうオイラはここで帰りたい…。
雨風が強くなり、傘の状態も怪しくなってきたこの状況で、バイクの男は途中で温泉まで行くのを諦め、幹線道路の途中にある上画像のロータリーでバイクを止めて私を下ろし、何やら弁明をしはじめました。ここは一体どこなんだ? 途中で見えた標識などから推測するに、この道路を真っ直ぐ進めば五華県へ行けることに間違いなさそうなのですが、この先どのくらいの距離があるのかは見当もつきません。こんなところで放置されたら冗談じゃありませんから、頭にきた私は相手に伝わらない日本語で啖呵を切って「立腹しているだぞ」という意思表示をした上で、簡単な中国語で「ここにバスが来るのか?」と聞いてみました。すると男は「対対(そうそう)」と弱々しく返答し、そして雨が降る中、私を近くの建物の庇の下へ雨宿りさせ、自分は傘もささずにロータリーの真ん中に直立して、路線バスがやってくるのをひたすら待とうとするではありませんか。さすがに当初は自信満々だった奴さんも、途中までしか行けなかったことに自責の念を覚え、態度で私に気持ちを伝えようとしたのかな。
悪天候の中で不安に苛まれながら、そのロータリーで20~30分は待ったでしょうか。幹線道路の脇道からメタリックブルーの五華行マイクロバスが姿を現すと、バイクの男が両手を大きく振ってここに停まってくれとアピールし、ようやく私はバスに乗り換えることができました。雨の中で全身ずぶ濡れになりながらバスを待ち続けてくれた男に対し、私はつい気分が高揚して感情的な謝意を抱いてしまい、当初の交渉金額以上の紙幣を彼の手に握らせてしまったのですが、後々考えれば、全行程の中間地点まですら到達できていないのに、愚直な姿に心を打たれて、その場の感情に任せて余計な金を支払ってしまった自分の冷静さの無さには呆れるばかりです。彼にとっては正に「濡れ手で粟」だったのかもしれません。
私が乗ったのは興寧~五華を運行している路線バス。このエリアを走行するバスはどの路線も同じような車体であり、上画像のバスには「梅州~五華」と書かれていますが、私が乗ったバスも車体色・スタイルともに殆ど同じで、単にフロントガラスに書かれた行き先(地名)が違うだけです。
結局は興寧発五華(華城)行のバスに乗ることになったわけですが、そこまでの過程で判断を誤って余計な時間と金を費やし、雨にも濡れてしまったわけですから、それならば当初の計画通り、駅からバスターミナルへ向かっておけば良かったのにと後悔しきりです。
バスには車掌のお姉さん(車内の画像で前方に座るピンク色のTシャツの人)がおり、彼女に温泉名を書いたメモを見せたところ、車掌さんは了解したという表情を浮かべ、運賃と引き換えに上画像の切符をもぎってくれました。
ちょうど学校の下校時刻にバッティングしたらしく、マイクロバスの車内は爺さん婆さんとともに学生で超満員状態なのですが、ここで驚いたのは、満員の客の詰め込み方です。一般的に、路線バスの座席が全て埋まっていたら、後から乗る客は通路やドア周りなどといったスペースに立ち、つり革や手すりに掴まって乗り続けるものですが、このバスの場合は、お風呂で使うような低くて赤いプラスチックのスツールを床いっぱいに隙間なく並べており、シートに座れなかった客はそのスツールに腰を下ろしているのです。マイクロバスは手すりやつり革など掴まるための器具が取り付けにくいので、安全面を考慮してこうして無理矢理にでも座らせているのでしょうか。私がバスに乗り込むと、床いっぱいに座っている超満員の乗客たちから「この見慣れない奴は誰だ?」という猜疑の視線の集中砲火を浴び、しかも薄暗くて汚い車内の雰囲気が難民収容車を想像させたので、その空気感に慣れるまでは異様なものに呑み込まれそうな恐怖心に怯えてしまいました。
バスは途中で数カ所停車し、その都度学生たちが下車してゆき、やがてシートにも余裕が生まれ始め、全員がシートに着席できるようになると、赤いスツールは車掌さんによって一斉に片付けられ、バス前方に積み重ねられました。上画像がその様子を撮ったもので、白い円内で拡大しているものが、その赤いスツールです。なるほど、シートに余裕があればこうして積み重ねておき、混雑時だけ床に並べれば良いのですから、考えようによっては合理的な方法と言えるかもしれません。
バスに乗って15~20分ほどで、仏頂面な車掌のお姉さんに「ここで降りて」と指示されました。バスですらそれだけの時間を要する距離なのですから、やっぱりバイクタクシーでのアクセスは無謀だったのでしょう。下車したところは沿道に商店が並ぶ集落になっており、目の前には「熱鉱泥温泉山庄」という看板が立っていますので、目的地である温泉の最寄だということは理解できますが、その看板にはここから5キロと書かれているではありませんか。どうやらここから温泉までの交通機関は無いようです。幸い、ここへ着くまでの間に雨は小康状態になっていたのですが、重いバッグを担いで5キロも歩くのはできれば避けたいところ。そういえば車掌のお姉さんは下車する際に「摩托車」(バイク)がどうたらこうたらと言って、温泉がある方角を指差していましたから、おそらく「このあたりで適当にバイクを捕まえて、現地まで乗せてもらってちょうだい」ということなのでしょう。日本では考えられませんが、中国の田舎では、集落や街中で白タクの金額交渉して、一般庶民の車やバイクに乗せてもらうことが当たり前のように行われています。でもこんな田舎では、誰に声をかけて良いのか見当がつきません。
私が路線バスを降りたところは、練渓という長距離バスのバス停でもあるらしいので、集落の中でも他所者の扱いに慣れていると推測されるこの長距離バスの切符売り場で温泉について訊いてみると、案の定、売り場のおばちゃんが20元でバイクに乗せて連れて行ってあげる、と返答してくれましたので、二つ返事でお願いすることにしました。
おばちゃんのバイクは、少なくとも250cc以上はありそうなホンダの大型スクーターで、しかもまだ新品なのか、車体は全体的にピッカピカ。姿といいパワーといい、先ほどの非力なポンコツ原チャリとは比較になりません。
私を後部に乗せたおばちゃんのスクーターは、集落からまず橋を渡り、いくつかの小さな集落を抜けて、田園風景の中を走ってゆきます。
途中で何度か曲がり角を曲がりましたが、各ポイントには温泉の案内看板が立っているので、もし自力で温泉までの5kmを歩こうとしても、少なくとも道に迷うことはなさそうです。道は車一台しか通れないような田舎道になったり、かと思えば片側一車線の広い道に変貌したり…。
バイクから眺める田園風景は緑が麗しく、牛が草をはんていたり、畦に黄色い花々が咲いていたりと、実に長閑です。
バイクに乗って12~3分で、ちょっとした規模の集落に入りました。集落の建物の一部には「温泉」の文字が掲示されていますので、おそらく小規模な温泉民宿が集まってちょっとした温泉街が形成されているのでしょう。
温泉街に入って間もなく、目的地である「五華熱湖熱鉱泥温泉山庄」に到着しました。温泉街を形成する他の施設とは比較にならないほど規模が大きいので、当地では圧倒的な存在感を放っています。ここまでの道程に苦労した分、無事に到達できて赤いエントランスゲートを目にした時の感慨はひとしおでした。
ちなみに上画像が私を乗せてきてくれたおばさんとそのバイクです。
私が「翌日に広州へ行くつもりだ」と伝えたところ、おばさんは自分の携帯電話の番号を私に伝え、「連絡くれたらホテルまで迎えに行くよ」と言ってくれました。おばさん、ありがとう!
次回に続く
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