前回記事の続きです。
●従化温泉から広州へ
従化温泉での湯めぐりを諦めた私は、宿に戻って荷物をまとめてチェックアウトを済ませて、広州・香港経由で帰国の途へ就くことにしました。まずは「温泉路」のバス停から従化バスターミナル行の路線バスに乗り込みます。停留所にはアバウトな時刻案内が掲示されており、これによれば街中(ターミナル)発の温泉行は6:30~20:30、温泉発の街中行は7:00~21:00の間に15分間隔で運行されるとのこと。なお運賃は3元先払い。
従化バスターミナル行(路線番号4番)に乗車。バス車内は右or下画像のような感じ。ごく普通の路線バスです。
約40分の乗車で従化バスターミナルに到着しました。前日ターミナル前で市民を睥睨していた特警の装甲車は姿を消していましたが、その代わりターミナル前の広場では何かのイベントが開催中。でも雨だからか人影はそんなに多い模様。ターミナルの前ではバイクタクシーの大群が、傘をさしながら客を捕まえるのに必死の様子でした。
さて、ここから広州の天河バスターミナルへ向かうバスに乗り換えます。チケット窓口は方面や路線系統別に分けられていますので、その区分に従って列に並びチケットを購入します。近年の中国各地の駅やバスターミナル等では、各窓口前に柵を立てて物理的に列を作らせることにより、割り込みや横入りなどを防ぐような措置がとられていますが、このターミナルにおいても然りであり、おかげさまで横入りに腹をたてることなく、並んだ通りに順番が回ってきました。
簡易的な手荷物チェックを受けて待合室へ。ホール内では企業広告と同じ面積を共産党のスローガン掲示に充てています。後で改めて触れますが、このターミナルでは、「軍人為我保国防 我為軍人作奉献」とか「軍政軍民心連心 共創双擁模範城」など、軍民が一体になって云々という内容のスローガンが多いみたい。
券面に印字された6番乗車口には既に列ができており、その列はどんどん後ろへ長くなってゆくのですが、出発予定時刻が近づいてもゲートが開く気配はなく、しかもその6番ゲートを担当していた係員は、長い列ができているこちら(天河行)を措いておき、他の行先のバスの改札を始めてしまうものだから、天河行の行列はザワつきはじめ、やがて係員とのケンカ腰の応答が繰り広げられ、押し問答の末にようやくゲートが開かれると、結局列は崩れて割り込みが横行し、我先に乗車しようとする客が殺到して、係員によるチケット確認(改札)は機能不全に陥りました。この国では何をするにも本当に疲れます。世界第2位の経済大国になろうとも、所詮中国は中国。庶民の生活は相変わらずなのでした。
約1時間で広州・天河バスターミナルに到着です。このバスターミナルについては、先日の記事で取り上げておりますので、ここでの細かな叙述は避けておきます。
●広州の地下鉄
天河バスターミナルは地下鉄駅と接続しているので、市内各地へのアクセスも良好。券売機でトークンを購入して自動改札を通るのですが、タッチパネル(画面上で路線→駅名→人数の順に選択)の反応が悪かったり、使える紙幣の種類が限定されていたりと、券売機は使い勝手が悪いため、有人窓口に並ぶ人の方がはるかに多い状況です。私個人としては広州の地下鉄に乗るのは7年ぶりなので、勝手が慣れずにちょっと戸惑いました。
ホームドアが完備されたホームはとっても綺麗で、その見た目は香港MTRを彷彿とさせます。でも乗車の際のマナーは相変わらずめちゃくちゃで、電車が駅に着く度、下車客と乗車客で押し合いへし合いが繰り返されます。同じ中華系でもマナーを守る台湾や香港とは大違い。
駅構内には日本を取り上げたこんな広告も。やっぱり日本=アニメやゲームといったイメージが強いのかな。
●広州市内の共産党スローガンコレクション 2015
中国は都会でも田舎でもとにかく共産党のスローガンだらけ。「マナーを守りましょう」「みんな団結しましょう」「衛生に気をつけよう」といった社会生活に関するものから、「共産党万歳」や「強い軍を作って誇らしい国にするぞ」といった政治思想丸出しで先軍的なものまで、いろんな種類のものが街中に溢れかえっており、スローガンと無縁の生活を送っている日本人旅行者にとって、見慣れないうちはちょっと怖さを覚えるのですが、共産党が苦手な私ですら、何度も中国を訪れているうちに、こうしたスローガンを見ないと中国を旅している気分になれないのですから、実に不思議なものです。ただ、最近はスローガンにもちょっとした変化が見られるようになりましたので、広州市内で見かけたものをここでいくつか取り上げてみます。
まず、上画像は広州従化区のバスターミナルに掲示されていたもの。これは従来からのオーソドックスなデザインで、敬礼する軍人の姿とともに「軍政軍民団結 築起鋼鉄長城」(軍民が団結して鉄壁の長城を構築しよう)や「軍人為我保国防 我為軍人作奉献」(軍人は国を守り、私は軍人に貢献する)などという先軍主義丸出しの恐ろしい内容ですが、この手の軍礼賛ものは中国のどの街でもごくごく当たり前に見られるおなじみの光景ですので、驚くに値しません。
またターミナル前に建つビルの一番上には「擁軍優属 擁政愛民 軍民共建双擁模範城」という語句がでかでかと並んでいました。「人民解放軍を擁護し、軍属たちを優遇し、民を愛する政治を擁して、軍民が一体となってすばらしい街を築きましょう」という意味なのでしょう。「双擁」とは、「軍は民を守るかわり、民は軍を支持して軍属を優遇し、お互いに(双方向で)擁護し合いましょうという」という意味で、軍関係者の権利を守る際によく用いられる用語のひとつであり、ここに限らず各地で頻繁にみられますが、とにかく従化バスターミナルのまわりは、軍民一体を強調するスローガンだらけ。
また、ターミナル入口には習近平政権が唱える社会主義核心的価値、すわなち国家目標の「富強、民主、文明、和諧」、社会構築理念の「自由、平等、公正、法治」、道徳規範の「愛国、敬業、誠信、友善」、これらの計12語句がデカデカと掲示されていました(右or下画像)。でもすっかり色褪せていましたけどね(笑)。
スローガンやマナー喚起といった類は、嘆かわしい現状を変えたいからこそ唱えるものであり、たとえば「ここで立小便するな」と書かれている場所では、実際に立小便の被害が発生しているからこそ、そのような注意喚起が行われるわけです。「スピード落として安全運転」という交通標語が掲示されている箇所では、実際に速度超過による事故が発生しているのかもしれません。ということは、この従化では、ターミナルを徹底的に包囲して訴えなきゃいけないほど、軍と人民の心が乖離しちゃっているのかな。
上画像は路線バス車内先頭の運転席上部に掲示されているもので「団結一心搞”三打”以人為本促和諧」と記されています。「三打」とは広東省で繰り広げられている「三打両建」という運動を意味しており、みんな団結して「悪行為・虚偽行為・賄賂行為」という3つの行為を撲滅して和諧社会を促進しましょう、といったような意味なのでしょう。でも中国社会から虚偽とか賄賂を無くすることなんてできるのかなぁ?
こちらは地下鉄の駅構内で見られたもの。中国景気減退の影響か、はたまた共産党の強い方針なのか、従来は企業広告を掲出していたと思しき広告スペースも、この時は党のアピール(イメージ向上)やスローガンで埋め尽くされていました。ただ従来タイプの、いかにも共産主義らしく握りこぶしを突き上げて「団結だ」とか「愛国だ」なんて表現するヤボなデザインではなく、一見するとそれとは気づかないような洗練されたデザインのものが増えているんですね。漢字が読め無い人には、まさかこの広告が共産党のスローガンだなんて気付かないでしょう。
上画像はいずれも私が広州地下鉄の駅ホームで撮ったもの。オレンジ色枠の左(上)画像は2008年、枠無しの右(下)画像は今年(2015年)です。7年という年月差で比較してみましょう。2008年(オレンジ色枠)の時には街じゅうに企業の広告が溢れており、この駅ではキムタクのギャツビー(マンダムの男性用整髪料)がいくつも並んでいましたし、異業種他社も競って出稿していたため、党のスローガンが入るこむ余地はありませんでしたが、今年は企業広告と同じくらいに共産党アピール(黄色い矢印で差しているもの)広告が多く、7年の間に政権が変わって社会の空気感も変わったんだなぁと、しみじみとした思いに耽けてしまいました。
数回前の記事でも同じ画像を取り上げましたが、習近平が猛プッシュしているのが「中国の夢」。早い話が中華帝国の復活。広州のみならず北京でも上海でも、中国国内至るところこの「中国の夢」だらけ。中国中央テレビ(CCTV)でもこの赤い女の子のお人形をアニメーションにしたCMがウンザリするほど繰り返し流されていました。
無知な私の勝手な見解ですが、現政権になって明らかにスローガンの類や絶対量が増えているような気がします。
このほか、画像は撮れませんでしたが、「生男生女一様好」(男児が産まれるのも女児が産まれるのも等しく喜ばしいことだ)といった、一人っ子政策の弊害を端的に示すような標語も、いまだにデカデカと街中で掲示されていました。中国では伝統的に男児が重んじられますから、一人っ子政策において女児が産まれると(あるいは女児であることがわかると)、堕胎や間引き、人身売買が行われたり、黒孩子(無戸籍の子供)になったりして、大きな社会問題となっています。一人っ子政策に関しては、田舎に行けばもっと露骨な表現のスローガンが見られますが、大都市の広州市内ですらその手の文言が躍っているということは、いまだに悲しく嘆かわしい行為が普通に行われているんですね。そんな社会なのに「夢」を唱えるだなんて、不出来なブラックジョークにしか思えません。
●(おまけ)2008年の広州・三元里地区におけるスローガン
上述で2008年の広州の画像をアップする際、当時に撮った画像のフォルダを漁っていたら、ちょっと面白いものを見つけたので、今までの話の流れとは全然関係ないのですが、ここでちょっとご紹介させていただきます。
広州駅の裏手に位置する広州市白雲区の三元里地区は、かつて香港にあった九龍城を彷彿とさせるカオスなスラム的エリアとして知られており、薬物・博打・エロ床屋(売春)が横行していた広州屈指の無法地帯として悪名高き場所でありました。日頃は温泉巡りを趣味とする私も、以前は海外旅行先の各地の怪しいエリアに潜入することを隠れた楽しみにしていたことがあり、危険を顧みずにわざわざそういう街を探索しておりました(最近はもうやってません)。
私がこの三元里地区を散策した2008年時点では、もう既に大規模な「浄化」が実施されており、いわゆる無法地帯のような怪しい雰囲気はあまり感じられなかったのですが、街じゅうに貼られたあまたの標語が、かつてこの街がどのようなところであったかを物語っていました。そのほとんどが違法薬物の追放を訴えかけるものだったのです。
左上(スマホでは最上段)の画像では、この1枚だけで「創和諧社区 建美好家園」(調和のとれた社会を作って、好ましい家庭を築きましょう)、「政府勧諭市民:不要吸食、注射毒品。違者可被拘留或送労働教養」(違法薬物を吸ったり注射した違反者は労働教養(裁判抜きで拘留する強制収容)に送られるぞ)、「参与禁毒斗争 構建和諧社会」(薬物廃絶闘争に協力して調和のとれた社会を築こう)という3つの標語が写っているのですが、うち2つが毒品、つまり違法薬物撲滅キャンペーンに関するものなのであります。そんなに強調しなきゃいけないほど、この街にはその手のものが蔓延していたのかな。なお、「創和…」の下にはコンドーム自販機(白い小箱)が設置されています。この街は標語のほか、コンドーム自販機が多いことも特徴のひとつであり、ある意味で街の特徴を端的に示しています。
右上(スマホでは上から2番目)の画像にも「毒品一日不絶 禁毒一刻不止」と、麻薬を止めるよう諭す語句が並んでいますし、左下(スマホでは上から3番目)では同じ標語とともに「吸毒害己 害家害国」(薬物で己を害することは、家庭や国家を害することにもなる)という標語も掲示されていました。
極めつけは右下(スマホでは最下段)の画像の標語。「”黄、賭、毒” 毀家、害己、禍国」(エロ・ギャンブル・ドラッグは、家庭を毀損し自分を傷つけ国家をダメにする)という、かつての三元里で横行していた諸悪がてんこ盛りになっていました。余談ですが、隠喩としてエロい事物を色で表現することがありますが、その色は国や言語によって様々。日本語の場合はピンクですが、英語はブルー、そして中国語の場合は黄色です。
ちなみにこの三元里が無法地帯だった理由には、どうやら新疆ウイグル系の存在が関わっているようです。今でこそ中共は、チベット人とともにウイグル人を徹底的に弾圧して世界から非難されていますが、かつては今とは全く逆で、下手に独立運動を刺激しないよう、ウイグル人による多少の悪事は見て見ぬ振りをしており、香港の九龍城みたいに複雑怪奇でごちゃごちゃのカオスであった三元里には、いつの間のやら悪党の居城となってしまったようです。しかし2000年に入るあたりから治安対策が徹底して行われ、私が訪れた2008年の時点では、いわゆる無法地帯的な雰囲気は既に消えて、単なる庶民の下町と化していました。
イギリスのアヘン戦争から日本軍の里見機関に至るまで、中国の近代史はアヘンで散々な目に遭っていますから、その教訓として現在薬物に対する取り締まりがものすごく厳格であることは有名ですが、三元里で横行していた”黄、賭、毒”の中でも、特に”毒”に関する標語が目立っていたのは、そうした国の方針を明確に示したものなのでしょう。
ウイグルに触れたついでの余談ですが、数年前に私が上海の虹口地区を歩いていた時、スリに遭いかけたことがあります。幸いにも途中で不審な気配に気づき、犯人に思いっきり肘鉄を食らわせたので、スリは未遂に終わりましたが、その犯人の顔立ちは明らかにウイグル系であり、しかも中学生くらいの若い男の子でした。間抜けそうな私の風貌がいかにも鴨ネギのように見えたのかもしれません。自分たちの故郷ウイグルは漢民族に占拠されて、仕事を求めて都会へやってきたものの、ろくな職にありつけず、こうして街頭で獲物を狙っていたのでしょうね。犯罪は許されませんが、とはいえ少数民族ゆえの悲しい現実に同情を禁じ得ません。
話を三元里に戻します。ひと昔前までの中国と言えば、街に貼り出される壁新聞が風物詩のような存在でしたが、この時の三元里でも壁新聞は健在でした。党の活動報告やら法制の説明やら、人民への告知がズラーッと並んでおります。右(下)画像の壁新聞は、保健衛生に関する壁新聞コーナーで、この時は女性の更年期に関して模造紙いっぱいに手書きによる解説がなされていました。なおその壁新聞の右隅に写っている小箱はコンドームの自販機です。今ではどうだかわかりませんが、当時の三元里エリア内では本当にこの手の自販機があちこちで見られました。
ここで見られた標語・スローガンはいずれも、言葉こそストレートであるものの、いかにもお役所らしいデザイン性のかけらもない実用的な「看板」や「貼り紙」にすぎないものばかりでした。しかし先日(2015年)私が旅をしている際に目にした現在のスローガンは、こうした野暮ったいものではなく、キャッチーでデザイン性も重視しており、語句のみならずビジュアル的な印象を良くして、より深く人民の心理へ入り込もう(操作しよう)とする意図が見え隠れしているように感じられました。
ついでですから、当時の三元里の様子も一緒にアップさせていただきます。上画像は商店街の様子。中国の都市部でごく普通に見られる庶民の商店街であり、治安が悪かったエリアだとはとても思えません。ただ道行く人の服装センスが現在とは大違いであり、季節こそ違うものの、皆さん地味な服装ばかりです。今はおしゃれを楽しむ人も増えてきましたから、成長著しい中国において、7年のブランクは相当大きいようです。
街路名には「抗英大街」や「群英大街」など、イギリスに関係する名前が散見されるのですが、これらは、アヘン戦争時にここ三元里の民衆がイギリスに対して蜂起し、イギリス軍を壊滅寸前にまで追い込んだ「三元里事件」の舞台であることを意味しており、イギリスに対抗したことを讃えてストリート名にしているわけです。
何本ものガスボンベを自転車で運んだり、青空食堂でコックが振るう中華鍋を熱する燃料が練炭であったり…。いかにも中国らしい光景。
三元里にはかつて城壁が築かれていました。共産党の手によってその多くは破壊されてしまいましたが、城門など一部は残されており、私が実際に潜った城門には民国14年(つまり1925年)と記されていました。民国暦ということは、まだ中国大陸が国民党の中華民国によって統治されていた頃に建てられたのでしょう。
城門を潜った先は狭隘で暗い路地が延々と続き、変な臭いと湿り気に満ちた暗い路地は迷路みたいに複雑に入り組んでおり、各通路には電線や配水管などが幾条も秩序なく這わされていました。かつて香港にあったスラム「九龍城」みたいです。でも怪しい気配はあまりなく、日没後には中国ではおなじみのエロ床屋と思しき店も一部に見られたものの、老若男女を問わず皆さんごく普通にこれらの狭隘で暗い通路を歩いていました。また随所に「文明巷」とかかれた路地も多く見られましたし、監視カメラも随所で目を光らせていましたから、エリア内は相当「浄化」が進んでいるようでした。
かつて悪名で名を馳せた三元里は行政の尽力によりすっかり大人しくなり、”黄、賭、毒”は鳴りを潜めたようでしたが、それらに代わって現在の三元里の代名詞となっているのが、バッグを中心にしたアパレルの偽ブランド。最近の三元里に関してネット検索すると、バッグや衣類のショッピング、そして偽ブランドを取り上げたものがほとんどです。当地には巨大なアパレル商業施設ができ、卸売の大きな商圏が形成されて、今ではそれらの商売を目的にしたアフリカ系の人が(不法滞在を含め)多く暮らす地区へと変貌し、現地住民とアフリカ系との間でいろんな軋轢が生まれているんだとか。時代の変遷とともに主人公が変わりましたが、昔も今も三元里は外来者によって謎めいたパワーが生み出され続けているのですね。光陰矢の如しで変貌を続ける広州の街ですから、当時私が見た光景はもう消えてしまったのかもしれません。
つい調子に乗って、話がすっかり今回の旅と関係のない方向へ逸れてしまいました。ごめんなさい。
閑話休題、次回記事からは旅の本題へ戻ります。
次回記事につづく
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